山塊(奥多摩偏)⑤

山塊

【暗示】

 朝9時過ぎ、東日原バス停下車、奥多摩地域は本日も快晴。川苔橋バス停までは複数の登山者で賑わっていたが、それ以降は運転手さん、車掌さん(この地域は山間部の為、車掌さんが運転席左側に立って前方からの対向車に注意を払い運転手さんへ指示を促す、言うなればツーマンバスだ)、私の3人のみであった。ひと月の間に三度訪れたことになり、少し山頂というものがが恋しくなる頃ではあるが、バスが去って誰もいなくなった東日原バス停で黙々と身支度を整え出発した。

 今回は富田新道登山口からそのまま日原林道を直進、大ダワ林道登山口まで行ってみることにした。なぜかと言うと、前回、野陣尾根から大雲取谷へ懸垂下降した際、対岸の山麓に一筋の立派な林道が走っていることに気づき、遠目にあれが大ダワ林道か!?とその際立った自然と人工物のコントラストに目を奪われたからだ(実際、ありゃ凄い、楽そうだ…と心も奪われていた)。大ダワ林道が崩壊の為、通行不可能との情報はインターネットでも調べて知っていた。しかしその異様な光景をみて、そっち方面から行けるところまで進むのも楽しそうだと考えていた。

 例の如く、富田新道登山口まで2時間弱の林道歩きの業こなす。谷筋へは下降せずに、そのまま日原林道を直進した。私の中で、富田新道登山口より先は崩壊の地、大ダワ林道というイメージが先行していた為、この先はいばらの道に違いないという思考が脳裏に焼き付いていた。ところが右手の天祖山へ延びる大きな尾根を回り込むと山間が開け、それまでの寒々とした林道歩きから打って変わり、陽当たりの良い林道が続いた。陽光は私の身体を暖め、心に安堵を運ぶ。大きく開けた谷間に、整備された林道。暖かな日差しを浴びて、何を恐れよう。あの尾根を過ぎる前の不安な気持ちは微塵もない。後から地図を見返して考えれば、林道は山間の南面に属し、陽当たり良好なのは推測されるところなのだろうが、その時の私はまた一つ、未知の空間へ一歩踏みいれた事に充足感を感じるとともに、いばらの道から解放されたその状況に歓びを感じていた。

 程なくして、正面に野陣尾根の北面崩壊地が見えた。崩れ落ちた斜面上部のえぐれた様が遠目からも確認でき、前回懸垂下降を試みようとしたあの雪庇状に崩れ落ちていた尾根だと一目でわかった。また、その下降地点が異様に高い場所にある事にも気がつき、いまさらながら唖然とした。崩壊地上部の標高は約1150地点、その下部にある大雲取谷の標高が約950地点、実に200mほどの落差となる。今回持ってきたロープの長さが50m、4回も懸垂下降をしなければならない。下降した先の沢筋の状況も不明瞭となり、戻ることもままならないとなるとリスクが高過ぎる。ここは潔く大ダワ林道から長沢谷へ降りて、二軒小屋尾根南端の鞍部を越えて大雲取谷へ出る方が良策と考えた。ポカポカ陽気の林道から長沢谷側の斜面へ視線を落とすと2~30メートルほど真下に一匹のカモシカがジッとこちらを見上げていた。

 3回目の調査で初めてカモシカを見た。またその後直ぐ出合い頭でもう一頭、別のカモシカが谷底に走った。かなりの至近距離に少し怯んだが、それは私が再び野生の山に立ち入ろうとしている事を暗示しているかのようであった。

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