【賑わう渓】
2025年5月下旬、東日原でバスを降りると、奥多摩の山容はすっかり変貌を遂げていた。春はとっくに過ぎて、鬱蒼と緑に覆われた山肌に自然の息吹(生命力)を感じながら、私は相も変わらず林道を歩いていた。しかし前回(2月)までの山行で散々歩いたこの林道には今までと違う変化点があった。

まず先述のとおり木々の繁茂が著しく、冬の間は見通しが利いたはげ山が新緑に、また渓の岩々は苔を纏い、すっかり衣替えをしている。そこにヤマフジ(紫)や蔓金梅(黄)、マルバウツギ(白)、ガクウツギ(白)と色とりどりの花が山肌を彩り(もう少し早い時期であれば山藤などはもっと盛大に咲き乱れているのだろう。)、ほんのりと香る花の匂いが単調であったこの林道歩きを存分に楽しませてくれた。そして雪解け水のせいであろうか、流れ落ちる滝や沢の水量も豊富に力強く感じられた。

つまり同じところをただ漠然と歩いているようで(実際にはその通りであるが)、私は奥多摩の四季を定点観測するが如く、その恵みを享受していたのである。登山計画を立てる際に、できれば登りと降りは別経路と拘っていた過去の私からすると、これはまったく目から鱗が落ちる思いであった。
とまあ、何が言いたいかというと、そのような大自然の移ろいに、私自身が呼応し、内面までも変容させる出来事に気付き、またそれを楽しめるほど成長している自分に単純に驚いているという事である。

さてもう一つ、大きな変化点があり、これは良くも悪くも悩ましい事であるが、、人間が多い。
当たり前であるが、3月から渓流釣りが解禁となり、春を過ぎれば気温も上がり、釣り人も増えるであろう。しかし毎年この林道を歩いているわけではない、奥多摩初心者の私からすればそれはビックリな出来事であった。東日原バス停から鍾乳洞の分岐で富田新道、大ダワ林道方面へ進んだ時点で人気がないルートであると思い込んでいたが、車が通れる最終地の八丁橋手前駐車場は満車状態、そして進む先から複数の釣り人や登山者(雲取山から下山してきたのであろうか…)がこちらへ戻ってくるのである…恥ずかしながら、これには正直面食らった…

そんな林道歩きを経て、すでに見慣れた大ダワ林道の入り口へ到着した。トレッキングポールとスパイクシューズを装備し、前回は枯葉が深く積もり少し危ない感じであった下降路も、今回は難なく通過し再び長沢谷へと降り立った。

今回の目的は長沢谷の右岸に聳える斜面を乗越し、向こう側に流れる大雲取谷へ降り立つことである。この山越えからは未知の領域(自分史上)となる為、地図とコンパスで越えるべき鞍部を同定し、ルートを考えた。

そしてなだらかに見える斜面を登り始めたその時、はるか上方から「トトト…」と小刻みな足取りで青いシャツを着た人間が一人降りてきた…。そのまさかの展開に、再び面食らった私であるが、下降してくる人間は意にも介さず斜面を右に左にスイッチバックしながら降りてくる。こっちから声をかけ、その人物に近寄っていくと、そこにはなんと明瞭(見事)な踏み跡があるではないか…
そうである、大ダワ林道の登山道はしっかりと残っているのである。もう面食らったを通り越し、少しガッカリな気分になった。私はあの鞍部まで道なき斜面を登り、尾根を越えて大雲取谷へ下降するつもりだったのに、そこにはしっかりとした登山道があり、しかも人間にまで会ってしまったのである。
まあ、もうしょうがないので思い切って話しかけてみると、やはり渓流釣りで長沢谷と大雲取谷の出合から入渓してきたとのこと、たぶん富田新道を下降した唐松橋のあたりから遡上してきたのであろうと推測する。そしてその釣り人は、この辺りは時期にもよるがそれなりに釣果が望めることを教えてくれた。また、大雲取谷の上流について聞いてみると、そこまでは釣り歩かないとのことであった。なるほど、それなりに釣果があるが、源頭域まではいかないとなると、釣り人は居てもこの辺りまでなのであろう。人に会うのは少しガッカリではあるのだが、親切に大雲取谷までの経路を教えてくれ、また話の中で今後の渓流泊の良い情報を得たと思えばとてもラッキーであり、ちょっと人と会い、話すのも悪くないな、と思ったのである。
【我、大雲取谷に立つ】
そのあとは地図を見ながら、時にコンパスを使い、そして先ほどの釣り人の話をもとに、二軒小屋尾根の末端(鞍部)を回り込むように進み、左眼下に大雲取谷が見えた辺りで思い切って登山道を外れ渓へ向け下降していった。

登山道から外れることは、「野生の自然」に踏み込むような感覚があり、斜面が崩れないだろうか、野生動物に出くわしたりしないだろうか、また無事に「人間が管理する自然界」に戻れるのだろうかと、たくさんの不安要素が頭の中をグルグルと巡る。つまり、この一歩を踏み出す瞬間こそが、緊張と興奮が綯交ぜとなった、正に未知の空間に飛び込む体験であり、それは現代社会で平和ボケした私が希求する境地であり、私が奥多摩の山塊に入り込む最大の動機なのであろう。
登山道から高低差50mほど、緩かに斜面を降り、難なく「大雲取谷」へ降り立った。一つの目標が達成され感無量の思いに満たされながら、私は沢に転がる大きな石に腰を掛け、持ってきた昼飯を頬張った。

時間は昼の12時を過ぎた頃、常に帰りのバスに間合うように戻るという事が頭の片隅にあるため、この後の行動計画を簡単に考える。今いる場所(昼飯渓と命名)から1㎞であろうか、小雲取谷の出合までは行ってみたいところだ。そして16時に東日原のバス停に戻るには14時には大ダワ林道入り口に戻っている事、大ダワ林道入り口からこの渓まで30~40分ほどか、逆算すると多めにみて13時半までにこの渓に戻る必要がある。つまり大雲取谷を遡行できる時間は30~40分ほどになる。時間がないのは仕方がないので急いで身支度を済ませ大雲取谷を遡行することにした。

沢足袋にレッグガードを装着して沢に入ると、想像していたよりも水温の低さは感じない。苔むす岩や石では足を滑らせないよう注意深く表面を踏み込む。この慎重に歩を進める感覚は、クライミングのスラブを登るときの緊張感に似ていて、ひたすら挙動許容を探ることに努めた。とにかく、無理はしない、怪我をすれば戻る事が難しくなる。即ち死に繋がる可能性がある事を意識しながら進むが、快適な沢歩きだけでない。沢岸へせり出す鬱陶しい枝葉や、行く手を阻む倒木をいなし、時には岩壁をへつりながら、また渓が深くせり上がるようなところは高巻きをする。陽の光が新緑の葉を透過し渓に広がる状景を楽しみながらも、時間と睨めっこしつつ渓を遡ってゆくと、沢筋の真ん中にある石の上に、倒木が横たわっている場所にでた。その倒木は、まるで「すこし休んでいけば?」とでも言わんばかりの、まるで人工的にバランスよく配置された見事な休憩場所であった。

時刻は13時、帰路の事を考えると、ここで引き返すのが良いと判断した。
その後は遡行してきた道を思い返しながら昼飯渓へ戻り、登山靴に履き替え、大ダワ林道を経て東日原のバス停まで長い道のりを黙々と帰っていった。14時、大ダワ林道入り口、その後、東日原のバス停までは延々と下りの為、約2時間(休憩含む)の林道歩きを経て16時には東日原のバス停に到着した。(バスの出発時刻は16:22発)
【総括】
前回までの奥多摩歩きが2024年度冬の山行とするならば、今回は2025年度春の山行となる。この季節の変化によって、山(自然)を楽しむとは何か?をより深く知ることが出来たように思える。山は春夏秋冬で折々の風情をみせ、ただひたすらその営みは繰り返される。また大きく変わる事はないが、その自然の中では常に競争が行われている。
そんな厳しい世界で、春から秋までの時期は野草や茸なども楽しめるような山行を(今回は大ダワ林道で立派なアミガサダケを発見)、またこれから暑くなる夏の時期は本格的に沢登りを取り入れ、時にテンカラ竿を振るって岩魚やヤマメを釣り上がる、そんな釣行も楽しいだろう。

と、そんなことを思いながら、再びこの未知の空間へと続く、ひたすら長い(退屈な?)林道を歩くのであろうと思うと、それもまた一興である。
コメント