山行記 六ツ石山 2025.10.25.

山行記

 青梅線御嶽駅の天気は曇天、今にも泣きだしそうな空模様、午前は何とか天気が持つようであるが、午後から明日にかけては雨の予報であった。

 今回、私は雨であるのを知っていて、わざわざ雨の山にやってきた。

 私の推しの探検家である田中幹也さんは、近年、天候が荒れる(低気圧が発達する)タイミングで冬の東北山塊に籠り、吹雪と戯れるという活動を行っているという。角幡雄介さんの極夜行も同じ様に、極夜になる時期に犬を連れてグリーンランドの氷床に飛び込んでいく。

 それらの活動は、いまや人跡未踏の地はないと言われるほど開拓されつくしたこの地球上に、条件(制限)を設けることによって、人類が踏み入れていない未知の大自然という世界を見出して(創出して)いるのである、と私は解釈している。

 快晴の山登りは楽しい。木々から差し込む陽の光がまぶしく、鳥はさえずり、小休止では地べたに腰を下ろして行動食を頬張る。見晴らしの良い山頂では遥か遠くまで連なる山脈の眺望が待ち構えているだろう。気の合う仲間と楽しく過ごす山での時間は格別な思い出となり、また新たな山行を計画することになるのであろう。

定点観察的な山行とは…

 では、雨が降ったら…、山は、登山はつまらないのであろうか。

 昨年末から始めた奥多摩山塊の徘徊山行は、枯葉が堆積した山道を、また凍り付いた沢沿いを歩くことから始まった。林道から登山道、沢で誰かにに会うことはなかった。私はその生命力を感じない静まり返った山に自然への畏怖の念を感じていた。

 そして春が訪れ、暖かな風が林道や渓に吹き始めた頃、枯葉で敷き詰められていた山は草花の新芽が芽吹き、山肌は新緑で覆われ、彩られた生命力の溢れる山に変貌していた。残念ながら今夏は暑すぎて徘徊することを諦めてしまったが、きっと夏にしか出会えない景色や、動植物の蠢きがあったのだろう。

 そう思うと、晴れた山も、曇りの山も、雨降る山も、すべて大自然が織りなす山の一面に過ぎず、それぞれに趣が感じられることは間違いないのだろうと感じる。

 結論は、晴れようが、雨が降ろう、季節が何であろうが、その瞬間にしか見ることの、感じることの出来ない「生きている山」に入るということは、楽しい行為になるのである。(十分な装備のもと、計画的に山に入るのは、天候や季節とは無関係なので注意が必要である。)

 そして先に述べた先達が行う探検的、魅力に溢れる行為は、スケールの大きさこそ違えど十分に体感することが出来るのではないかと思う。自ら世界を閉ざすことなく、柔らかな発想をもって世界を拡張する事ができれば何事も楽しんで生きて行けるのだろう。

 とはいえ、今年の夏(7~9月)は岩山へ行ってノンビリとクライミングをしていただけの身であるため、久しぶりの山歩きで、かつ長丁場は困難だろうと考え、先ずは手軽にピークへ登り、昼過ぎには下山できる軽めな山にしようと思い、奥多摩駅から六ツ石山を経由して、奥多摩湖畔の水根バス停へ下山するコースを計画した。

 経路は六ツ石山・石尾根縦走路登山口から入山、絹笠山、十二天山、三ノ木戸山(1177m)、狩倉山(不老山)(1452m)、六ツ石山(1478.9m)へ登り、水根バス停方面へ一気に尾根を降る行程である。(今回、三ノ木戸山は尾根に上がり、いったん逆方向へ戻りながら山頂を探したがよく判らず、到達はしていない。帰ってからGPS情報を確認すると、もう少し尾根沿いに歩いていけば山頂の様であった。紙地図では判りづらいかもしれない。)

自然の営みを受け入れるということ… 

奥多摩駅を出ると、まだ街中であるのにサルの群れが現れ、子連れのサルが民家の屋根から電線を伝って道路を渡り、向かいの民家の屋根に降りて消えていった。自然が近いと、このような風景は珍しくないのかもしれない。人里に降りてくれば食べるものに事欠かないからであろう。腹を空かした動物たちは畑を荒らし、人間の出すごみや残飯を漁り、時には人間に危害を加えることもあるかもしれない。私たち都会の人間は快適な生活をするために沢山の自然を、その循環を破壊してきた。その結果、自然と隣り合わせで生きている方々の生活を脅かすことに繋がってきているのではないか、そんな事を思いながら山に入っていった。

 登山口から稲荷神社を通り、絹笠山までくると石尾根に乗り上げ緩やかな登山道となり、そこからは快適な尾根歩きが続く。うっすらと霧がかかる登山道は、こんな雨の日でないと巡り合えないかもしれない。そんな気持ちを感じる事が出来ただけでもわざわざ雨の日にやってきた甲斐があった。

 道中たくさんのキノコの群生を見つけた。こんな登山道沿いの「見つけやすいところにあるキノコ」ということは毒キノコであろうと思いつつも、帰宅してから調べてみようと写真に収めた。水分をたっぷり含んだそれらのキノコは活き活きとしていて、特に美味しそうに見受けられたキノコは、おぼろげな記憶であるが「ナメコ」ではないかと思った。いかがであろうか?

 三ノ木戸山付近を過ぎてからは、心臓破りの急登が続き、狩倉山(不老山)で左の尾根に進んで行くと程なく六ツ石山に到着した。当然であるが眺望は皆無、真っ白である。停滞し過ぎると体が冷えてくるので、軽く行動食と水分を補給し、山頂で記念写真を自撮りし、そうそうに下山を開始した。

 六ツ石山から水根バス停方面の登山道は明瞭であるが、とにかく急勾配な降り道という印象であった。地図上1364m付近(棒ノ木尾山)までは若干緩やかな尾根を歩くが、それ以降は1キロ程の道程で高低差約600mを降る。私は今回、帰路でこの道を歩いたこともあり、膝がガクガクになりながら水根バス停まで降りてきた。

 因みに六ツ石山から水根バス停までのルートは、針葉樹林の中を、これといった見どころもなく、六ツ石山からのエスケープルート?的な存在なのかもしれない。

 水根駐車場には公衆便所(水洗でキレイ)はあるが、着替えなどできるような屋根のあるものがない。しかたなくバス停の前にある廃業している飲食店の軒先を借りて着替えと帰り支度をさせて頂いた。(すこし先にある奥多摩水と緑のふれあい館まで行けば東屋や観光施設、飲食店などがある。)

 雨の山行ということで、楽しみ方は人によりかなり偏ると思う。雨が降っているので小休止や昼食、トイレなどすべての行為に手間が掛かる。下山時刻を早くし、気持ち的にもゆとりを持って帰り支度をすることが出来たことは、晴天時の山行と違うこととして計画時に注意をしていた点であり、結果としても良い成功体験であると感じた。

 いずれにせよ、登山装備、行動計画は雨の中で活動する事を前提に、また山に入ったら登山道、及び天候の状態に注意を払い、無理はしない山行を心掛け、準備する必要があるだろう。

 晴天時の山行ではそこまで注意を払わない様な事にも目を向ける。それこそが、いつも以上に「真摯に自然と向き合っている」と実感することであり、天候が悪いからこそ、普段では感じることの出来ない山歩きを体感することが出来るのであろうと思った。

 毎週末が雨模様ではさすがに気が滅入ってしまうだろうし、できれば暖かい日差しを浴びながら山を歩きたいのというのが本心である。が、自然の営みを拒絶するのではなく、可能な範囲でその状況(事態)を受け入れる気持ちが持てるのであれば、隔絶された自然との距離を少しだけ縮める事が出来るのではないだろうか。自然の中で生きるということは、今の人間にはとても耐えがたい事かもしれないが、その先にあった本当の心の安らぎを求め、一歩踏み込んでも良いのではという気持ちになった。

 奥多摩駅07:50出発、六ツ石山・石尾根縦走路登山口08:30、絹笠山08:50、十二天山09:30、狩倉山(不老山)10:40、六ツ石山11:00、棒ノ木尾山11:20、六ツ石山登山口12:30、水根バス停12:40 到着。

 時間約5時間、距離約11.9キロ、のぼり1289m、くだり1107m。

 西東京バス 水根バス停13:10にのり奥多摩駅まで戻る。

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