山塊(奥多摩偏)④

山塊

【動機】

 なぜ私は片道6時間強もかけて奥多摩の山奥に籠るのか…

 何となくではあるが思い当たるふしがある。それは昨年7月、武蔵五日市駅を出発し、日の出山へ登った時のことである。道中、金比羅山のピークを経由し、引き返して本筋へ戻るところ、私は間違って反対側の尾根を降ってしまった。最初は気づかずに踏み跡を辿って、緩やかな尾根を降っていた。しかし進むほどに踏み跡は細く、不明瞭になった。道は木々をかき分けるほどになり、蜘蛛の巣が幾度となく顔にへばりつき不快極まりない状況となった。流石におかしいなと感じ始めた瞬間、さっきまでの煩わしい木々がなくなり、開けた尾根上の平坦な部分(肩)に出た。まるでピクニックにでも来たかのような広場だった。

 鬱蒼とした山道は消え、ぼんやりとした平坦な尾根の上に自分だけがいる。(いや、植生、野生の動物、昆虫などは確かにそこここにいるのだろうが)とても静かで、穏やかなその空間は、登山道で切り拓かれた山の景色とは違っているように感じた。荷を降ろしてノンビリとしたくなる気持ちもあるが、長居するには少し、いやかなり心細い、というか「怖い」という気持ちが強かった。登山者など殆ど通らないであろうこの場所は、人の手が入っていない自然、つまり原生林といっても過言ではないだろう。その原生林が、自然の威圧感を私の身体に押し付けてくるようで、息苦しさを感じたほどであった。結局、尻尾を巻いて逃げ帰るが如く、来た道を戻り、再び金比羅山を経て本筋の一般登山道にでたのである。

 下山後、GPSのログを見返してみたら、そのまま尾根沿いに降っていけば元の武蔵五日市駅付近の一般道に出るようであった。しかもそれほど人里からも離れてはいなかった。現金なもので結果が判ってしまえば急に気が大きくなり、もう一度あの場所に行ってみたいという気持ちになった。地図(GPS)で場所が判っていたとしても、ほんの僅かな距離であったとしても、登山道のない山間に入り込んで目的地へ進んで行く。登山道から外れない為に地図を見て進むのではなく、目的地へ向かう為の道を自分で探し、考えて進んで行く。迷っても、また戻れば良いであろう。あの登山道を外れた(迷った)瞬間に感じた違和感、自然が発する威圧感の様な感覚は恐怖でもあったが、まるで自分が自然(野生)の生き物として、平等にその空間にいるような、そんななにか不思議な気持ち(つまりワイルドな自分に酔いしれ)に興奮し、昂ってしまったのだ。

 山頂へ到達するために登山道から外れない事を重視するよりも、自分の判断で道を切り拓いて行く事に楽しみを見出してみたいと思ってしまったのである。

 ごく一般な登山者では考えられないだろうが、まあ動機はそんなところであろう。

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