昨年末より奥多摩山塊に訪れているが、毎度その道中でたくさんの登山者が降りる川乗橋というバス停がある。早朝のバスに乗ると殆どの乗客がこのバス停で降り、東日原まで(週末は鍾乳洞までバスは行かない)行く登山者は私一人となる。正確には運転手と対向車線を見る係の車掌さんの二人はいるのだが。
調べると川苔山への登山道がそこから続いており、なかなか人気の山の様であった。ただし、冬は積雪の影響もあり滑落などの事故が多々ある山とのことなので春になったら登りに行こうと思っていた山である。週末の天気と子供の気分を確認し、無事に川苔山登山は決行となった。
私の登山計画は、まず気になる(行きたい)山を決め、その登山地図(1/25,000)を準備し、スマホアプリの地図でコースタイムなど詳細の確認をするという流れで行う。山の選考はネットやアプリでお勧めなどを見ながら決めることもあれば、今回のように他山行の道中で目ぼしい山を見つける。紙の地図はコンパスと共に拘りで持つようにしている。整置が上手く出来るわけではないが、山の楽しみの一つとして現在位置や山座を同定できるよう常に意識をして地図を見るようにしている。
計画段階では地図上に登山道、尾根、谷の識別線を色付けし、何となく机上登山で登山道の特徴(高低の落差や目ぼしいポイント探しなど)を予習するようにしている。最後にスマホアプリでコースタイムなどの確認を行うが、これは子供と一緒に山に入る際はコース距離、及び時間が気になるので確認するようにしている。子供と登る際は距離的に15㌔程、時間は7時間程(休憩を含め)までを目安にしている。

個人的には子供(小学3年生)の運動能力は成人のそれに引けを取らないと思っている。大きな違いは身体のスケールであろう。これは成人でも個体差があると思うが、岩場や中途半端に整備された丸太の階段、また雨水に流され根だけが露出された段差などでは歩行に困難が生じる。短いコース距離でかなりの登り降り距離があるような山は注意するようにしているが、正直コースの整備状況や悪路かどうか迄は管理(予測)出来ないのが実際のところである。
が、大人なら膝が笑ってしまうような山行後半の降りでも、最終的には駆け降りてゆく子供のその身体能力の見事さに舌を巻くばかりである。
【苔に覆われた山渓をゆく】
川乗橋のバス停を下車、林道の入り口から登山道まで沢沿いの舗装された道を進んで行く。雪解け水が豊富に流れる渓は苔に覆われた無数の岩石が見事である。百尋ノ滝まで続くこの川苔谷では海苔に似た淡水産の緑藻「川苔」が採れ、それが所以で源頭にある山は川苔山と呼ばれるようになったそうである。

登山口から山道へ入り、幾度と橋を渡りながら苔むす癒しの渓を遡ってゆくこと一時間ほどで百尋ノ滝に到着する。滝にでるまで登山道が狭いところも多く、また所どころで落ち葉が溜まっており滑落には十分注意が必要であるが、この落差約40mの見事な滝を見るためにだけでも歩いてくる価値はあると思う。ここで小休止をして川苔山方面へ向かい、足毛岩方面への分岐付近(鞍部)に平坦に開けた場所が出たのでそこで昼食をとる。

計画では足毛岩を経由して川苔山へ登頂するルートをとっていたのだが、この分岐には気付かず、細い沢を渡渉して向かいの道をUターンするように足毛岩方面へ向かった。どうやら他のほぼすべての登山者はこの分岐を左に進み、渓を詰めて山頂直下に出るルートを進んだのであろうと想像する。
我らが選んだそのルートは足毛岩に突き出る尾根までは沢沿いに水平移動している。しかし足毛岩方面は虎ロープで進入禁止路となっていたので無理せず山頂へ向かった。尾根に沿って長い登りが続き、川苔山手前の小ピーク直下までが急登となり難渋した。また他の登山者がいない雪解け後の山道という状況が一層緊張を極めた。子供に熊の心配を悟られると面倒なので、父はそれとなくホウホウと叫びながら人気を認知させるが如く無心に歩を進めたのであった。

結果、熊は出てこず、無事急登を詰め小ピークに到着した我らの眼前に、川苔山の山容が現れ、程なく登山者で賑わう川苔山山頂に到着した。

見晴らしの良い山頂で小休止して舟井戸方面へ下山する。当初の予定では鋸尾根を縦走する予定であったが少し時間が押している様であったため、舟井戸分岐で左に下り、その後は等高線に沿って延々続く山道を歩いた。息子曰く、永遠ループ状態とのこと…そう言われてみれば確かに登り降りのない平坦な山道が続いてまるで同じ道をグルグル回っている様であった。

大根ノ山ノ神の分岐を過ぎ、もうひと踏ん張りし、実に3時間強、黙々と歩き続けた我らは無事鳩ノ巣駅へ到着(16:45)した。川苔山山頂から鳩ノ巣までの降りみちに華やかな見どころはなく、ただひたすらに歩いた印象である。しかし、訪れる季節や一人登山など環境が違えば物思いに耽る格好の自分時間になると思え、それはそれでよい山道であるのであろう。即ち、どのようなスタイルで山に向き合うかという事である。なかなか歩きごたえのあるコースを歩き満足な我ら親子であった。
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