【タイトル】太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密
【著者】三浦 英之
【出版社】集英社文庫(2025.07.25.発売)
本書に登場するコンゴの日本人残留児の多くは1970年代に生まれた方たちで、実に私と同年代である。当時の日本は高度成長期を経て、人々は豊かで平準的な生活を送るようになった。食べることに困ることなく、一様に教育を受け、働く事も然程困難なことではなかっただろう。
一方、個別差はあれどもその様な世界で育った私に対し、日本人残留児たちは真反対に位置する暮らしぶりを強いられていた。当時のアフリカでは植民地からの独立に伴う政治的混乱や内戦が続いた時代で、日々の生活ですら困難な状況であった。日本人労働者が日本へ引き上げた後、残された妻とその子供たち(日本人残留児)は生活の糧を失い、困窮した生活を送る事になる。そして彼らは「スラムの様な場所で泥水を飲みながら生き延びてきた」という。
時代背景(地政学的な問題や当時の炭鉱業界をめぐる日本の状況など)や現地の文化(欧米などと違い、氏族文化、家父長文化など根強い地域の慣習)などの根強い不可避な問題があり、彼ら日本人残留児たちは当地での生き方に馴染むことが難しく、また時代に翻弄され、自分たちのアイデンディティの確立すらままならない中で今日(まで)も生活をしている。
本書では、ヨーロッパ各国がアフリカの資源に目を向け始める史実についても触れているが、いかに人間が野蛮で自分勝手な生き物であるか、ということも学ぶことができる。大航海時代に他国の資源を求め、文明が発達して優位に立つ(立ったと思っている)側の人間は、未開の地に住む人間たちの生活、文化をないがしろにし、武力で破壊、制圧し富を独占していった。この構図は現代各地で起きている紛争と同じであり、我々が他者と関係する時に感じる大なり小なりの摩擦に対する感情とも大して変わらず、結局人間とはそういう生き方(思考)しかできない生き物なのだと思わされる。
人間関係の中で少なからず感じる優劣や序列は、人が本来持つ本能のようなものであり、避けられないであろうと私は思う。そして人間が他者との関係の中で、円滑に生活が送れるような気遣い、配慮を行うよう考える(教育する)ことが理性であると考える。我々人間は、自然界の中で人間の生活圏を確立(分裂し)し、人間だけのルールを作り、まるで「地球は人間か管理している」かの様な振る舞いをし、社会、文明を作り上げてきた。そのなかで先に述べたような過ちをたくさん繰り返しながら我々人間は発展を遂げてきた。
そのような人間社会で教育を受け、理性を備えていく人間は、豊かな生活を、富を手にし、また自分たちの都合の良い社会を作り上げてゆくのであろう。では、そこに適合できない、できなかった人々はどうなってしまうのであろう。一般に発展途上国と言われる国の人々にとって、その隔たりは顕著になって行く一方であるのだろうと考えさせらる。
本書の核心は、時代の落とし仔である日本人残留児の存在を社会に知ってもらうため(延いては、彼らが父親と再会するため)の働きかけ、及び行動であると感じる。それは簡単なはなしではなく、私個人がすぐに何かを取り組むことは微少であると思う。しかしそのような時代背景、社会構図があった(いまもあり続ける)ことを知る事、その理解を深め自分の考えとして日々の行動が出来るようになることが、今の私にできる事なのではないか、と考えたい。
著者である三浦さんが、彼ら日本人残留児たちの為にコンゴと日本を奔走し、当時コンゴに進出した日本の鉱山企業で働いていた関係者との面会得る事で日本人残留児の父親に関する情報や、彼らへの今後の保証(支援)など、彼らをとりまく状況、事態は目まぐるしく加速していく。しかしそれは必ずしも彼ら日本人残留児たちが思い描き、求めたとおりの結果ではない。逆に三浦さんが奮闘して得る事実には悲しい結末に帰結していると私は感じた。
足繁く現地に赴き、当事者やその家族、またそれらの人々を取り巻く諸関係者に対峙・見聞し、体感したその生(リアル)の心の叫びを、三浦さんは常に思考し、悩み、そして長く、深く取材を(新聞記者としての仕事の傍らでの大変な作業を)続けることでこの本書は出来上がったと思われ、その本書を通してアフリカのリアルな闇を追体験出来るということは、大変有意義な時間を過ごさせて頂いたと思う。
今、私は本書で紹介されるアフリカに関する古典書「闇の奥」を読んでいる。我々の今の生活が産まれるその背後には、当然絡めとられた側の生活があるということを、今更であるが考え生活していこうと思う。


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